2018-12-06 第197回国会 参議院 内閣委員会 第8号
勤労感謝とは別にです。労働そのものを人権そのものとして考えるという日が必要ではないかという御提案です。 二つ目には、五月一日、来年限りということですが、資料四を御覧ください。この休日のパターンを私の事務所の方で作ってみたんですが、来年は十連休なんです、黄色いところですね。
勤労感謝とは別にです。労働そのものを人権そのものとして考えるという日が必要ではないかという御提案です。 二つ目には、五月一日、来年限りということですが、資料四を御覧ください。この休日のパターンを私の事務所の方で作ってみたんですが、来年は十連休なんです、黄色いところですね。
勤労感謝じゃないんですね。ここら辺が私はちょっと違和感を感じているので、冒頭、大臣からの丁寧な答弁がありましたからなかなか突っ込みづらいんですが、私が思っていることをちょっと言いますね。 一九六〇年、池田勇人首相が所得倍増計画というのを立ち上げて、働いて収入を得て貯蓄をして、教育費も住宅費も老後資金も賄う、そういう勤労国家を目指してつくっていったと私は認識しています。
それから、現在勤労感謝の日と呼ばれている祝日がございます。
国民がこぞって祝い、感謝し、また記念するということでございますから、それにつきましては既にいろいろな、勤労感謝についての日もございますし、またいろんな方面から祝日を設けるべきではないかという御意見もございます。我が国では祝日は十三日ございます。これは先進国の中でもどちらかというと多い方だそうでございますので、そういうこともひとつ御考慮をいただきたいというふうに考えます。
勤労感謝というのは、これは非常に抽象的な概念でありまして、働く生身の人間、生活大国という勤労者に対する祝意がそこで述べられているかというと、これはちょっと昭和二十三年当時と今と大分時代がもう変わっておりますし、日本の経済状況も変わっております。金融機関だとか、いろんな行政のサービスだとか、そういった問題もあるかとは思いますけれども、もうそろそろ熟しておるのではないかと私は思います。
これは勤労感謝の日となっておるわけですけれども、これは私たちの中では勤労をたっとび、生産を祝い、国民互いに感謝し合う日、ここでも勤労感謝ということになっておるわけでございます。そこで、それとの関係はどう考えるのかというのが一つの問題になります。
それよりは勤労感謝の日に離して設けておいた方が何か休日が一日、祝日が一日、祭日が一日ふえるではないか、こういうふうな意識で勤労感謝の日というものが定められたというような記憶があるわけでございますけれども、しかしながら、お説のとおり、これは世界的な共通の意識を持てる日でございますから、そういった意味では私はそれなりの意義があるであろうというような考えはございます。
そして、これを年寄りの日だとか子供の日と同じように、あるいは勤労感謝というような扱いで、国民祝祭日としてふやしていく意思があるかどうか。ただそれを設けるだけなら何にもならぬ。設けたら、それをやはり休みにして、そのときに勤労青少年がなぜ休んでいるのか、ああきょうはおれらの日で休んでおるということを自覚する日にならなければだめなんですよ。それについて休日扱いにする意思があるのかないのか。
やはり農村の持っておる、引き合わぬがなお農業を放さない、墳墓の地でもある、都会へ出ても、事あればやはり農村へ帰りたい、そして堂々として働いておる、この百姓に対する、勤労感謝のような基本法の前文がありますが、これがやはり日本の潜在的な力ではないだろうか。
一月一日、四月二十九日の天皇誕生日、あるいは春分、秋分の日、あるいは勤労感謝の新嘗祭、こういったように、現在でもすでにこの皇室の行事と非常に関連のあるものを採用しておりまして、特に二月十一日をとったからといって、それが格別復古主義とかなんとかいうことには当たるまいと考えております。
その他子供から大人になり、あるいは文化を祝い、勤労感謝を祝うというような、きわめて大衆的な、民衆の中に溶け込んだこのお祝い日を顧みますならば、その中にここに一つ旧態依然たる紀元節がどっかりと生まれたとしたならばどういう形がここに考えられましょう。
勤労感謝だけがちょとはずれてるようになってるわけでありますが、それすらも一般的概括的な実施官庁は文部省だということになるならば、建国記念の日を祝福するところの行事実施官庁は、文部省になることは常識として考えられるじゃないですか。各省に集まってもらって相談するというような、そういう手続などをわずらわすまでもなく、大局的に見て文部省ということは常識的に考えられやしませんか。
ただ勤労感謝の日というのはどうも少しぴんとこないのでありまして、もちろん日本は農をもととした国でありますから、あの新嘗祭というのはその意味において新穀ができたのでお祝いをするということで、宮中にとっても非常に大きなお祭であって、これもやはり勤労感謝を含めた問題であります。
あるいは勤労感謝の日であるとか、成人の日であるとか、いろいろ行事がありますけれども、制定せられて日も浅いことでもありますが、さほど熱狂的に沸いてきてない。
それから表彰される人ですけれども、毎年数をきめまして、ある地方に割当てて、これだけの人を今年はやるのだから――文化の日、母の日、勤労感謝の目にそれらを記念して、これだけの人数を表彰するのだからという割当はやめてほしいと思います。あまり数が多くなり過ぎますと、あとで困るのではないか。
反対の意思表示がなされておりましたけれども、奨励手当というものは決してその勤惰の差によつて支給されるものではないのでありまして、先ほども申し上げましたように、この人間が能力以上に努力をして増収をはかられた、あるいは最も繁忙の度合というものを定員の満てない中でこれを処理して何とか片づけた場合に当然上つて来るところの実績であるとか、こういうような既定の額からオーバーして上つて来るところの増収に対する勤労感謝
もう一つは、議事を進めて行く上において、たとえば明日が召集日、明後日が開会式、二十三日は勤労感謝日で休みになると思いますので、二十四日に施政方針演説があるかどうかわからないが、あるとして、二十六日は日曜となつており、事実上の審議に入るのは相当遅れるおそれなしとしない。従つて二週間の会期で政府提出案件を議了することができるかどうか。
日本国が直面いたしております重大なる時局にかんがみまして、緊急なる施策に即応すべき予算審議の重要性を、各位が十分に御認識せられまして日夜熱誠あふるる質疑応答を重ねられ、ことに勤労感謝の休日をも休まずに、議事を進行いたし、あるいは深夜にも及んで会議を続行いたしまして、ひたすら慎重審議のために奨励されました各位の御苦労に対しましては、委員長衷心より感謝いたすものであります。
三十俵でも、小さな村の一日分の食糧にも足りるものでありますし、最近のようにさつまいもの配給が多くて、少しでも米がほしいというわれわれ國民の氣持の上からも、こういつたせつかくの大事な米が、しかも勤労感謝祭と申しますか、新穀感謝祭の前後の日取りに到着したものが腐つている。こういうことで地元の人が非常に残念がつており、また憤慨しておるのであります。
○鈴木(里)委員 ただいま佐藤委員から御発言がございましたが、この勤労感謝の日であります。そもそも衆議院案といたしましては、勤労感謝の日という十一月二十三日は、新穀祭、新穀に対する感謝の日ということが原案であつたのであります。それが感謝の日になりまして、はからずも六月十五日の衆参合同打合会におきまして、私はおりませんでしたが、勤労という字を羽仁君の動議によつてつけたというお話であります。